記念碑名: 沖縄海底電信線記念碑
住所: 沖縄県中頭郡読谷村字渡具知
訪問日: 2010/5
明治28年に台湾が日本の領有となり、内地から台湾までの軍用海底電信線の敷設が計画された。軍用通信だけでなく民間通信も担うことが期待され、その沖縄における陸揚げ施設が明治29年にこの地に設置されました。その後第二次大戦時に戦火により破壊されました。
上部には戦前の海底線のルートマップが記載されています。
以下の3ルートを結んでいました。
・鹿児島(大隅大浜)~奄美大島~沖縄(渡具知) 明治29年
・台湾(基隆)~石垣島~沖縄(渡具知) 明治30年
・ヤップ島~沖縄(渡具知) 明治38年
明治二十九年(一八九六年)鹿児島・沖縄間に海底電信線が敷設された。
ここ、読谷村渡具知の浜に陸揚げされ、那覇とは架空電信線で結ばれた。
これが、沖縄における電信線のはじまりである。
日本の電信創設より二十七年遅れて、沖縄と県外と直接に電報を送受することができ、孤島苦を抱える沖縄に新しい文化をもたらした。
更に、明治三十年には石垣島経由の台湾線、明治三十八年には南洋ヤップ島線の海底電信線がこの浜に陸揚げされ、海外通信にも大きく貢献した。
以来、島内の通信線も整備されたが、残念ながら、去る第二次世界大戦で、これらの海底電信線施設は破壊された。
私達は、海底電信線が、半世紀の間沖縄の政治、経済、文化の発展に果した役割と歴史の担い手であったことを高揚し、ここを沖縄海底電信線のはじまりの土地として記念碑を建立するものである。
昭和六十三年六月
電気通信関係有志一同